喜九

日々の雑記。方向性はまだ分からない。更新を続けることが当面の目標

服装なんてみんな違ってみんないい

voice2blog3lost1output5.hatenablog.com

↑前回記事

今回は何を持ってオシャレと捉えるのかという話。人のオシャレの定義づけの話ですよ。

ラム的に端的に行きたいと思います。

 

youtu.be

ファッションyoutuberのアンチに対する動画。アンチの主張としては「服の知識」が少ないヤツが服を語るなうんたらかんたら、一方リョウマツモトの主張は「服が好きになるのに理由はいらねぇ」うんたらかんたら、(もしかしたら僕の解釈が間違っているかもしれません、詳しくは動画を見てください。いえ、別に私はリョウマツモトの回し者ではありません)

 

このようにアンチが湧き出す原因が「何をオシャレと捉えるか」のズレなんですね。アンチは「時代背景、カルチャーなどの知識量が多ければオシャレ」であるとし、一方リョウマツモトは「自分の着たい服を着ていればそれが個性となり、オシャレにもつながる」という考えの持ち主のよう。参考までにげんじは「モテ、流行を意識するのがオシャレ」という方ですね。(ハズムについてはオシャレとは何ぞやみたいな動画は出してないのでイマイチ分からんですね。彼は経年変化マスターですがそれとオシャレを関連づける発言はしていないんちゃうかな)

 

まぁ何しか、オシャレになるための過程や定義づけは人それぞれなんですよ。人それぞれ違う捉え方を「オシャレ」というワードで変換するからズレが生じる。みんなオシャレを測る「ものさし」を持っていて、それがそれぞれ違うということなんやね。だけど上級者を自負する人や承認欲求が強い人は、違って当然の他人のものさしについてあれこれ難癖をつけたがる。難癖をつけるのは勝てるから難癖をつけるんやろうなぁ。

ものさしを持つことは大いに結構なんだけど、注意しなければならないのは、ものさしをひとつしか持たないということは、言い換えれば「単一的なものさしで全てを測ろうとしてはいけない」ということやね。一つのものさしで全てが測れるわけないやろ。これは何も服に限った話ではない、思考が固まって一つの方向しか見えないというのが一番怖いね。

そうやって中途半端な正義を振りかざす奴は周りから孤立してしまう。かも

 

他人のファッションを受け入れることができるのが器の大きさ、心のオシャレにつながるんDAZE!!!!

という抽象的な話でした。